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10/9 前期始業式 生徒会長の話「 私が皆さんの前で生徒会長として話すのも今日が最後となりました。」

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皆さん、こんにちは。
私が皆さんの前で生徒会長として話すのも今日が最後となりました。
今日は私が修学旅行で学んだことについて少しお話ししたいと思います。「修学旅行で学びを得る」なんて言われると、「なんだか綺麗ごとっぽい」と感じる人もいるかもしれません。でも、現地で説明を聞いたり案内を読んだりする中で、ちょっとした気づきや知らなかったことに出会えるのが、修学旅行の本当の面白さなのだと思います。
そんな中、私が一番心に残っているのは、京都の「龍安寺」というお寺です。
龍安寺にはとても有名な石庭があります。昔の日本では「15」という数字は「満月」などを象徴し、完全で満ち足りた状態を表すことがあったそうです。この石庭にも15個の石が置かれています。しかし、どの位置から眺めても必ずどれかの石が陰になり、一度に14個までしか見ることができません。これは「人間は完璧な存在ではない」ということを表現しており、「完璧ではないからこそ、そこに味わいや美しさがある」という教えです。
また、龍安寺にある手水鉢(ちょうずばち)には「吾唯知足(われ、ただ、たることをしる)」と刻まれています。直訳すると「私は満ち足りていることを知っている」、つまり「足りていることを知り、今あるものに感謝する」という考え方です。例えば、お金や物が充実していなくても、家族と一緒に過ごせることや、友達と笑い合えることだけで幸せといえるというものです。
私たちはつい、本当は感謝しなきゃいけないことでもそれが身近にずっとあると「当たり前」という言葉で片付けてしまうことがあります。
初めはありがたかったことでも時間が経つとそのことに慣れていってしまうのです。
私たちが今当たり前にやっていることといえば、学校に来て授業を受ける、ご飯を食べる、友達と話す、家族と過ごす など、たくさんです。
みなさんはこの全てにありがたいなと思ったことはありますか?
おそらく、全部に感謝したことがある人は少ないと思います。
私たちは中々、「当たり前」のことの価値に気づけるきっかけに出会えません。
だからこそ、今日この話を聞いたことをきっかけに、一度自分の周りにある「当たり前」を見つめ直してみてほしいと思います。 改めて考えると、私たちは思っている以上にたくさんのものに支えられています。そして、当たり前だと思っていることが、いつまでも続くとは限りません。なくなってから「大切だった」と気づくのではなく、今あるうちに「ありがたいな」と気づける人になってほしいと思います。
また、その「当たり前」は人によって異なります。
自分にとっての当たり前が相手もそうとは限りません。
だからこそ、自分にとっての「当たり前」を人に押し付けたり、人の「当たり前」を無理に自分に言い聞かせるのではなく、お互いに違うことを認めあって欲しいです。
最初にお話した龍安寺の石庭のように、すべてが完璧に揃っていなくても、そこにはちゃんと美しさがあります。15個の石が全て見えないように、私たちも完璧ではありません。
だからこそ、私たちは互いに助け合い、支え合うことができるのだと思います。
今あるものを当たり前だと思い込まずにありがたみを感じ、また、その当たり前の違いを認めあって、後期も毎日大切に過ごして欲しいです。
今日で私たち生徒会役員の任期が終わります。昨年の後期から今日まで、皆さんの協力があったからこそ色々なことに挑戦し、学校生活をよりよくすることが出来ました。本当にありがとうございました。後期も新しい生徒会役員と共に学校を作り上げて行きましょう。以上で、私からの話を終わります。

公開日:2026年10月14日 19:30:16
更新日:2026年10月14日 19:32:46